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biacco42:

25 : 雪ちゃん(兵庫県):11/01/25 22:50 ID:7g5xvq7wP 『耳をすませばについて』 押井守 1995年

あのね、ちょっとだけ言わせてもらってもいいです か。 この映画は、何一つ救いがない映画ですよ。実際には、現実には、絶対にありえないことを、思 いっきり細部まで こだわった現実的な日常の世界として描くなんて、反則以外の何物でもない。 (中略) そして、見た者は大いなる錯覚をする。 「これが、本来の現実の世界ではないのか」、と・・・ そこに描かれているものは何だろう。 高校にも行かずに留学してバイオリン作りを目指す彼 氏?…

『大学での講演(耳をすませばを引き合いに出しての話)』 押井守  1999年

「こういう例を出して適切かどうか分からないけど、『耳をすませば』に出てくるような健康的な一家を見て、
果たしてアニメーションを必要としている今の若い子たちが勇気づけられることがあるんだろうか。

僕は、ないと思う。『耳をすませば』を見て生きる希望がわいてきたり勇気づけられる子は、
もともとアニメーションなんか必要としないんだと。

アニメでも映画でも小説でも何でもいいけど、フィクションを人並み以上に求めている子たちには、
ああいう形で理想や情熱を語られても、むしろプレッシャーにしか感じられないはずだ。僕はそういうものは作らない。

今回もそうだけど、僕が作っているものにあるのは、生きるということはどう考えたってつらいんだ。

多分、あなた方を取り巻く現実もこれからの人生も、きっとつらいものに違いない。
いろんなものを失っていく過程なんだということ。

生きていれば何かを獲得すると若い人は漠然と思っているんだろうけど、
実際は失っていく過程なんだよって。 」

たとえばうる星やつらの話も度々出てくるのだが、高橋留美子のめぞん一刻はドラマではないというのだ。

なぜならあの話は主人公の男が結婚してくれといってしまえばそこで終わってしまう話で、「優柔不断」だからこそ物語が続いたのだ……というか、何年も続けるために男を優柔普段にした。そして押井守氏に言わせればそういった根拠をもたないがゆえに起こるドラマはドラマではないのだ。

今のアニメやマンガや特にライトノベルなんてそんなのばっかりだよね。優柔不断なキャラクタなんて物語を長引かせるためだけに設定された精神的奇形児でほとんど精神病の域に達しているのにあまり状況は改善されない。だから押井守のこういう言い方にとても共感する

ようするに未熟なのだ。未熟であるがゆえに生起するドラマはドラマとは呼ばない。ドラマとは「価値観の相克」のことだ。俺はあんたが好きだ。あんたも俺が好きだ。でも、なぜか二人は一緒になれない。これならドラマたりえる。だから、好きだということを言わないで永遠に続くドラマはドラマとはいえないのだ

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Janet Fischietto by Alessandra Tisato.

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結局のところそういった動機による行動は自己満足であり、相手に対して必ずしも良い印象を与えない。また、相手がその援助に対し色々と言うと不機嫌になる事もある。しかも、その結果が必ずしも思い通りにならなかった場合、異常にそれにこだわったり逆に簡単に諦めてしまう事も特徴的である。このようなことは宗教などの勧誘にも見られる。